著者である文化人類学者のナターシャ・ダウ・シュール(ニューヨーク大学メディア文化コミュニケーション学科准教授)は、伝統的なテーブル・ゲームと、マシン・ギャンブリングを異なるものと捉え、マシン・ギャンブリングの際立った特徴として、
“たったひとりで連続的にすばやく賭けられる”を挙げています。
“ありとあらゆるギャンブル行為の中で最も集中的な発生頻度を伴う行為である”
カジノゲーム機は、それに過度にのめり込んでいるプレイヤーに何をもたらしているのかについて、次の箇所は端的に説明していると思います。
“ひとりきりの、途切れることのないマシン・プレイの過程では、トランス状態にも似た安定状態が生まれがちで、その状態が、不安、憂鬱、退屈といった「内面や外部の問題をまぎらわせてくれる」。”
“マシン・ギャンブラーがやみつきになるのは、勝つチャンスにではない。マシン・プレイがもたらしてくれる、世界が溶けて消えていくような、主観が一時停止して感情が落ち着く状態に、やみつきになるのだ。”
プレイヤーは、テーブルゲームとは異なり、落ち着いた状態にある。
これは、パチンコも同じかもしれません。
以前、ボクが取材でお話を伺ったあるパチンコ好きの芸能人の方は、パチンコ店という、普通の人からしたら騒々しい空間の中で、パチンコに向かっているときに「静寂」を感じる言いました。そして、「茶室」だと表現していました。
そして著者は序章でこう書いています。
“ギャンブラーかギャンブリング・マシンのどちらかではなく、二者のあいだの動的相互作用の内にある依存症をつきとめたい。”
本のタイトル(の原題)である、『ADDICTION BY DESIGN』は、“問題のあるギャンブリングは、問題のあるギャンブラーだけの話ではない”という意味が込められています。
著者は、“問題のあるマシン、問題のある環境、問題のある商習慣の話でもあるのだ。”と言います。